無駄な空間づくり【縁側編】
2022年09月18日
昨日無事に羽島の平屋をお引渡しました。
そこで、今回はそのお宅に作った縁側についてお話しします。見る人によっては土間です。いや、多分99%の方がその空間をみたら「土間」というでしょう。
けど、私にとっては縁側なのです。
コンパクトな家に縁側は贅沢?
このお宅は25坪程度の平屋です。このうち縁側として使った面積は5帖(2.5坪)程度。約1割です。このお宅の純粋な居間の広さは8帖(4坪) 縁側に5帖も使うのなら、居間を12帖にしたらどうかと、普通は思うでしょう。
それでもあえて縁側を作ったのは、居心地を向上させるためです。
その理由を書いてみます。
その前に
ところで縁側って何?
縁側とは、家の建物の縁(へり)部分に張り出して設けられた板敷き状の通路である。庭等外部から直接屋内に上がる用途ももつ。
和風家屋の障子が薄明かりの中でその向こうの人や風景を見えるような見えないような曖昧さの中に感じることが出来るのと同じように、内でもなければ外でもないという縁側に、空間を仕切る意識が希薄な日本家屋空間独特の曖昧さの構造を見るという文化論も語られる。
ウィキペディア抜粋
さすがウィキペディアです。物理的説明の下に文化について触れています。
西洋建築にもバルコニーとかポーチとか物理的に同じようなものがありますが、あまり文化の香りを感じません。
小さく仕切られた縁側は居心地の良い居場所になります。
上の写真は縁側を表から見た様子です。障子は雪見障子になっていて、上げた状態となっています。
障子を閉めてサッシを全開にすると、中でもない外でもない空間が出来上がります。
障子を閉めていることによって空間を独り占めできている満足感というか幸福感を感じるのですね。
小雨の日にその空間にいい椅子を置いてボーっと佇んでいることを想像してみてください。理屈では説明できない、なんかいい気分になれるのです。
因みに写真の椅子は ボーエ・モンセンJ39 です。
また、この縁側はお客様の接客場所ともなります。
親しい方と椅子を二つ並べて外を眺めながら語り合える空間。いいと思いませんか。
次は、縁側と居間を区切っている障子について少し書きます。
日本人には超能力があるんじゃないかと思っています
タマゴグミは障子をよく使います。
優しい光と影を通す不思議な建具です。
1ミリもない紙で作られた建具なのにこうやって空間の後ろにあるだけでしっかりと区切られている安心感を与ます。
そして部屋内から見ると
上の写真をじっと見てください。
障子の向こうに何か見えませんか? えっ、見えない? 確かにそうですね、実際は何も見えません というか見えるわけがありません。
けど、何かあると感じませんか? ある方は広いお庭を、ある方は山の稜線を、ある方は広い畳の部屋を感じるかもしれません。
ということは、障子を建てることでこの部屋以上の広がりを感じられるようなっているのです。
チョット脱線 日本文化と西洋文化の源について私的意見です
縁側は必然的にできたのではないかと私は想像します。
西洋の建築は「房」という考え方です。要は部屋と部屋が集まり一つの建物を造っているという感覚です。
昔の日本家屋は、「ポスト&ビーム」(なんで日本建築が横文字なんだ?)
柱を等間隔に建ててそれを梁でつないで骨組みを作り、障子やふすまなどの建具で仕切りをしていく方法です。
これらより、日本のほうがプライバシーの確保は難しいと予想できますね。
私は家の構造がその国の文化を造ったのではないかと考えています。
部屋が独立してプライバシーも確保できいる部屋で育った欧米の方は、自己主張が強くその代わり自己責任をとれる「自立した」人たちが多いのでしょう。
障子とふすまで仕切られたプライバシーが少ない空間で暮らしてきた日本人は、見えるものも見えない、見えないものも見えるという気配りの生活を余儀なくされてきました。
よって、気遣い気配りを主とする輪を重んじる「協調」の人たちが多いのでしょう。
一見弱そうに感じるのですが、相手のことを考えられ相手のために行動できる強さを身に着けたのではと勝手に想像しています。
ここから思うに、もしかしたら縁側の家暮らしは日本人だから良いと感じられ、欧米の方々はその価値を感じないかもしれませんね。
今回はここまでです。
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続きの内容は「日本人が個室文化を持ち込むときの注意点をミームから考える。」という訳の解らない けれど「ああなるほど」と思う内容を発信しています。
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