(有)丸井建築事務所 所長 タマゴグミ事務局
井手 徹 一級建築士/一級建築施工管理技士/VEL
25で住宅の楽しさを知り、40で住宅を一生の仕事にしようと覚悟ができました。
私にできることは、技術者の立場でお客様の相談に乗り、建築士の立場で図面を書き、監理者の立場で現場を監理する。
そしてたまに、現場で作業もします。それを全て私が責任を持って行うことです。
そして、それがタマゴグミの強みでもあります。
と堅い話はこれくらいで、ご興味のある方は次もどうぞ。
プロフィール |
昭和38年5月岐阜県羽島市生まれ。いつまでも青年でありたい中年初心者です。 女房1人に中2の長女と6年生の長男、そして長女が拾ってきた我が家の癒し担当、黒猫のミー(本名はマロンというらしいが私はミーと呼んでいます)トラと暮らしています。ついでですが、猫好きの方にお教えください。猫に噛み付かれないようにするにはどうすればいいんでしょう。 |
---|---|
趣味 | オフロードバイクです。最近はあまり出ていませんがエンデューロというレースにも出ています。成績は・・・趣味ですから。(一度鈴鹿で優勝したことあるんです、凄いでしょ。草レースですが) |
建築の道に入った理由 |
小学校のとき、通学途中に見た「セドリックの中にヘルメット」。 ああ、建設業はお金持ちになれるんだと強い印象を持ち、現在建築関係に従事しています。で、儲かったかって?? 現実は、こんなもんでしょう。ちなみにあのセドリックの持ち主は土木屋さんだったし…。 |
経歴
学生時代
岐阜市の長良高校時代は柔道三昧でした。一応黒帯ですが、やっと有段者になったという実力です。ただ、柔道は好きでしたね。1対1の勝負って言うのがなんか格好よくって。結構、格好から入るんです。
その後、名城大学の建築科に進んだのですが、4年間で学んだのは社会だけ。建築のことは殆ど勉強していません。当時ディスコ(今のクラブ)が流行っていて、毎週末通っていました。
この時期親に大きな迷惑をかけたことがあります。バイク事故を起こして重体、本当に迷惑をかました。また、拾った命、有効に使おうと20才ながら強く思いました。
これまでの職歴
卒業後、土屋組という地元ゼネコンで現場監督を行いました。
監督といっても、若いうちは職人さんと一緒に現場仕事。現場での基礎をここで教えてもらいました。
職人さんって、いい人ばかりなんですけど、怖い人もいるんです。「今日は**親方が来る」とわかると、若い現場監督と場外逃亡、近くの喫茶店で半日過ごすこともありました。(今はそんな怖い職人さんはいないようです。ご安心を)
現場を一通り覚えた後、設計に興味を持ち設計事務所へ転職しました。二世帯住宅やお医者さんの住宅などを設計、むちゃくちゃ大変でした。設計士の仕事は自分勝手で図面を書いているわけじゃないんです。お客様の希望、それは潜在的なものも含めて表現しなくちゃいけないんです。
そうそう余談ですが、もし設計士さんで貴方の言うことを聞いてくれず、設計される方がいらっしゃったら言ってあげてください。「先生、私は先生の作品作りのために一生ローンを払い続けるのですか。」って。
設計時代に住宅作りが好きになり、地元の工務店に行きます。私は好きな住宅を作れるのならここで一生過ごそうと思っていました。しかし現実はそうも甘くない。
企業はお金儲けをするところ。そのために理想を捨ててやらなくちゃいけないこともあったのです。しかし、自分を抑えてまでは仕事をしたくなかった。
そして独立。丸井建築事務所を設立し業務を開始したのですが、仕事なんかあるわけが無い。そこで、人材派遣の形で大手ゼネコンの現場監督となり100メートル級のビルなどの管理を行いました。
ある人との出会い
そうこうしていると、神様はちゃんと見ていてくれるんですね。ある人との出会いを作ってくれました。
その方は長井克之氏。住宅産業塾という怪しげな集団の塾長。けどそれがスゴイ集団だったのです。
ニュースに取り上げられるような元気な工務店。地域一番の工務店。本を出している工務店。全国でトップクラスの工務店集団だったのです。全ては長井塾長の住宅に対する思いにほれ込み集まっていたのです。お尻が軽い私は直ぐに弟子入りして、その塾でIT関連の業務を手伝いながら北は仙台から南は宮崎までの優良工務店を廻りました。
ここで学んだことが、私の住宅作りの原点となっています。
そしてやっとです。自分で住宅業をやろうと考えて動き出したのが2004年2月。
今、建築に対する思い
以前は理屈で考えていました。通る町並みを見ながら、メーカーの家を見ながら「アア汚い家だ、あんな家に何千万円も払うことを考えるとお客さんはかわいそうだな」とつぶやいていました。
しかしですね、これっておかしいと思いませんか。
家を持った人は自分の家が最高なのです。誰にも負けない家なのです。だから住まうことに支障がある欠陥があると泣けてくるのです。そんな大切な家を私はけなしていたのです。
今は、私の作る家はどの会社にも、誰にも負けない最高の家だと思っています。
そして常に最高のものを作ろうとしています。
しかし、他社が建てる家も認めるようになりました。
家の好きな私たちの仲間が、貴方様が命を担保に借りるお金を預かり作った家なのですから。チョッと格好よすぎますか?
本心はタマゴグミの提案する家を作っていただきたいのですよ。しかし、他社とは正々堂々とやりたいだけです。貴方の考えを乱すような他者の中傷や、自社以外はいかにも欠陥が多いといった感じの脅しを使いたくないだけです。
とにかく一度会いに来てください。
その他のスタッフ
- 島田 悠平(二級建築士)